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G-DRAGON

지드래곤G-Dragon
BigBangK-pop歌手

BIGBANGのリーダーで、ソロ歌手・プロデューサーとしても韓国を代表する存在。子役出身で、YG練習生を経て2006年にデビューし、「嘘」「HARU HARU」など自作曲でグループを牽引した。2023年に移籍し、2024年に本格復帰した。

更新 2026-10-09/出典確認 2026-10-09

生い立ちとデビューまで

子役から始まった芸能歴

G-DRAGON(本名クォン・ジヨン)は1988年8月18日、ソウル・龍山区で生まれた。姉が一人いる。芸能界との縁は驚くほど早く、1994年にテレビ番組への出演をきっかけに活動を始め、当時の人気グループ、ルーラの子ども版「コマ・ルーラ(リトル・ルーラ)」の一員として舞台に立った。イム・グォンテク監督の映画『太白山脈』に子役として出たこともある。ところがグループはクリスマスアルバムを出したところで契約を打ち切られ、幼い彼は母親に「もう歌手は目指さない」と言うほどの挫折を味わった。

SMからYGへ、ヒップホップとの出会い

その誓いは長く続かなかった。家族で出かけたスキー場で飛び入り参加したダンス大会で年上の参加者を抑えて優勝し、その場にいたSMエンターテインメントの目に留まって、約5年間同社の練習生として過ごしたのである。転機は小学3年生のとき、友人の家でウータン・クランを聴いたことだった。ラップに夢中になった彼はヒップホップクルーのピープル・クルーに出入りするようになり、2001年のコンピレーション『大韓民国ヒップホップ・フレックス』に13歳で参加して「最年少ラッパー」と呼ばれた。この縁からジヌションのショーンに見いだされ、ヤン・ヒョンソク代表のYGエンターテインメントと契約する。

雑用の1年とBIGBANG結成

YGに入って最初の1年は、スタジオの掃除や練習中の水運びが主な仕事だったと本人は振り返っている。名前の「ジ」を英字のGに、「ヨン(龍)」をドラゴンに置き換えた芸名もこの時期に決まった。当初は練習生仲間のトン・ヨンベ(のちのSOL/テヤン)とのデュオが構想されていたが、会社がボーイズグループへ方針を切り替えると、中学時代に一緒にラップをしていた近所の友人チェ・スンヒョン(T.O.P)に声をかけてオーディションに誘った。結成過程はテレビで公開され、2006年にBIGBANGとしてデビューを果たす。

活動の歩み

「嘘」で証明した作曲家の才能

デビュー作の滑り出しはまずまずだったが、2007年のミニアルバム『Always』で状況が一変する。彼が作詞・作曲したタイトル曲「嘘(LIES)」が音源チャートで長く首位を守り、グループ初の大ヒットとなった。続く「最後の挨拶」「HARU HARU」もいずれも彼のペンによるもので、アイドルでありながら自らヒット曲を書く「プロデューサー型アイドル」の代表格と見なされるようになった。テヤンのソロ作の制作にも関わり、グループの音楽面の舵取りを担った。

ソロとユニットで広げた領域

2009年8月、21歳の誕生日に初のソロアルバム『Heartbreaker』を発表し、同年のMAMAで年間最優秀アルバムを受賞した。2010年にはT.O.PとのユニットGD&TOPを始動し、2014年にはテヤンとの「GOOD BOY」も話題を集めた。2012年のミニアルバム『ONE OF A KIND』からは「クレヨン」「あのXX」がヒットし、2013年のワールドツアーでは韓国のソロ歌手として初めて日本4大ドーム公演を実現した。同年の『COUP D'ETAT』ではミッシー・エリオットらと共演し、MAMAでソロ歌手として初めて「今年の歌手」賞を手にしている。

USBアルバムと兵役

2017年に発表した『権志龍(KWON JI YONG)』は、CDではなくUSBメモリーで発売するという異例の形式をとった。当初、韓国のガオンチャートは正規アルバムとして集計しなかったが、のちに判断を改めている。同年のワールドツアー「ACT III: M.O.T.T.E」は29都市を巡る大規模なものとなった。2018年2月に陸軍に入隊し、2019年10月に除隊。2022年4月にはBIGBANGとして「Still Life」を発表したが、その後しばらく音楽活動は空白期間に入った。

移籍と完全復活、20周年へ

2023年末、20年以上在籍したYGを離れてギャラクシーコーポレーションに移籍した。2024年6月にはKAISTの機械工学科で招聘教授に任命され、話題を呼んだ。同年10月、約7年ぶりの新曲「POWER」で本格復帰し、テヤンとテソンが参加した「HOME SWEET HOME」はチャート1位を獲得、MAMAでの3人の共演も大きな反響を呼んだ。2025年2月に3枚目のフルアルバム『Übermensch』を出してワールドツアーを行い、同年10月にはAPEC首脳会議の歓迎晩餐会で公演、大衆文化芸術賞で玉冠文化勲章を受章した。2026年にはBIGBANGのデビュー20周年を迎え、8月に新曲「BiiiG」を発表して高陽総合運動場からワールドツアー「XX : COSMOS」を開始している。

エピソード

麻薬疑惑とその後

2023年10月、麻薬類管理法違反の疑いで警察に立件されたと報じられ、大きな騒動となった。簡易検査も国立科学捜査研究院の精密鑑定も陰性で、同年12月に警察は嫌疑なしとして送検しない決定を下した。翌年の新年に彼は、この経験をきっかけに麻薬撲滅や弱い立場の人を支える財団「JUSPEACE」を設立すると表明している。のちにテレビのインタビューでは、当時は引退して一般人になることまで考えたが、結局は音楽で自分を表現するしかないと思い直し、その思いを「POWER」に込めたと語った。

13歳の曲をめぐる告訴

過去の曲が法的な争いに発展したこともある。2024年11月、ある作曲家が、13歳の彼が参加した2001年のコンピ収録曲を自分の同意なく2009年のソロ公演やライブ盤に使い、曲名も変えたとしてG-DRAGONとヤン・ヒョンソクを著作権法違反で告訴した。YG側は、2009年の公演当時、同じ題名の2曲の表記が混同されただけで無断複製ではないと説明した。警察はYGへの家宅捜索も行ったが、侵害の故意は認めがたいとして2026年4月に不送致を決め、この件は同年10月に報じられて決着が知られることになった。

ステージをめぐる騒動と評価

2009年の初ソロ公演「Shine a Light」では、演出が扇情的だとして当局が検察に捜査を求める騒ぎになったが、最終的に問題なしと判断された。初ソロアルバム『Heartbreaker』の発表直後には海外曲との類似を指摘されたが、原曲側の配給会社が類似性を否定している。一方で細身の体型を逆手に取ったミックススタイルはファッション界でも注目され、アジア人として初めてジバンシィのミューズに選ばれた。20周年公演の最終日には、新曲1曲で終わるのは物足りないというメンバーの冗談に、「僕はやるとなったらすぐやる。頭の中には(全部)ある」と応じ、ファンの期待をあおった。

プロフィール

生年月日
1988年8月18日[1]
出生地
ソウル特別市[1]
国籍
韓国[1]
職業
K-pop / 歌手[1]
関連グループ
BigBang[1]

作品

年は作品の公開日・放送開始日です。本人の参加時期を示すものではありません。

  1. 2017年권지용歌唱[2]
  2. 2024年PowerAmazonで探す歌唱[3]
  3. 2025年Too BadAmazonで探す歌唱[4]

出典

リンク先の著作権は各発行元に帰属します。本文は転載せず、確認した事実をもとに書き起こしています。

  1. G-DRAGON — 人物の構造化データWikidata/構造化出典/確認日 2026-10-09
  2. 권지용 — 出演者・公開日の構造化データWikidata/構造化出典/確認日 2026-10-09
  3. Power — 出演者・公開日の構造化データWikidata/構造化出典/確認日 2026-10-09
  4. Too Bad — 出演者・公開日の構造化データWikidata/構造化出典/確認日 2026-10-09