ユン・ヨジョン
ユン・ヨジョンは1947年開城生まれの俳優である。1971年の『火女』で鮮烈に登場し、結婚と渡米による長い空白、離婚後の再起を経て、『ミナリ』で韓国人俳優として初めて米アカデミー賞助演女優賞を受けた。80歳近くになっても『パチンコ』や『BEEF』など海外作品で第一線に立ち続けている。
更新 2026-10-09/出典確認 2026-10-09
生い立ちとデビューまで
開城生まれ、作文の得意な少女
ユン・ヨジョンは1947年6月19日、開城で生まれた。当時の開城は38度線の南側に位置していたが、3歳のときに朝鮮戦争が起こり、一家は南へ逃れている。少女時代から言葉と文章の才に恵まれ、弁論大会や作文コンクールでたびたび賞を受けた。1959年、女子大学が主催した作文大会で入賞した随筆「わが家の台所」は新聞に載り、数十年後にトーク番組で紹介されて改めて話題になった。台本を覚えるのが速いことで知られる後年の彼女を思えば、うなずける経歴である。
挫折から放送局の公募へ
名門の梨花女子高校に進んだが、3年生のときに胃潰瘍を患って受験はうまくいかず、第一志望ではない漢陽大学に入った。同じ高校の出身者がほとんどいない大学で、本人いわく自尊心はひどく傷ついたという。親に申し訳ない気持ちから学費くらいは自分で稼ごうと、アナウンサーのキム・ドンゴンが司会をする番組で進行の手伝いを始めた。そのキム・ドンゴンに勧められて受けたのがTBCのタレント公募で、1966年に合格して3期生となった。俳優の道を選んだ彼女は、大学を中退している。
「母にとって私はスターだった」
テレビタレントという職業そのものが、まだ生まれて間もない頃だった。迷いを消したのは、イ・スンジェら名門大学出身の先輩たちが演技をしていたことで、決して恥ずかしい仕事ではないと思えたと本人は語っている。もう一つの動機は母親だった。「母にとっては私がスターだった」と振り返り、人前に出る仕事なら母が誇らしく思ってくれるだろうと考えたという。TBC時代は端役や脇役が多かったが、専属契約が切れた1970年初め、テレビ放送を始めたばかりのMBCに迎えられ、主演級でドラマに次々と出るようになった。
活動の歩み
『火女』と『張禧嬪』で頂点へ
1971年はユン・ヨジョンにとって決定的な年になった。キム・ギヨン監督の映画『火女』に主演し、主人の男を誘惑する家政婦という難役でその年の韓国映画の興行トップを飾る。大鐘賞新人賞と青龍映画賞主演女優賞をそろって手にし、シッチェス映画祭でも主演女優賞を得た。テレビでは、MBCドラマ『張禧嬪』の主人公役を視聴者のはがき投票で勝ち取り、毒のある悪女ぶりが評判を呼んだ。翌1972年にもキム・ギヨン監督の『虫女』、キム・スヒョン脚本のドラマ『新しいお母さん』に出演し、20代にして映画とテレビの両方で頂点に立った。
渡米、離婚、そして再起
絶頂期の彼女は歌手チョ・ヨンナムとの結婚を選び、夫に従ってアメリカへ渡った。フロリダで主婦として過ごした歳月は長く、1980年代半ばに帰国、1987年に離婚する。2人の息子を抱えて仕事に戻ったが、離婚した中年女優に向けられる目は厳しく、役を選んでいる余裕はなかった。当時の暮らしぶりを「米びつに米があった時より、なかった時の方が多かった」と表現している。再出発を印象づけたのは1985年の映画『オミ(母)』で、娘を死に追いやった人身売買の一味に一人ずつ報復していく母親を鬼気迫る演技で見せた。1987年からはキム・スヒョン脚本の『愛と野望』『愛が何だって』『목욕탕집 남자들』(銭湯の家の男たち)などで、再びお茶の間の顔となった。
型にはまらない「おばあさん」
2000年代以降は、母親役に収まらない役柄で評価を高めた。死期の近い夫を顧みず恋愛を楽しむ女性を淡々と演じた『浮気な家族』(2003年)、イム・サンス監督と4度目に組んだ『蜜の味 テイスト オブ マネー』(2012年)の冷酷な財閥夫人、鍾路界隈で老人相手に体を売る女性を演じた『죽여주는 여자』(英題The Bacchus Lady、2016年)などである。2013年の『花よりお姉さん』を機にバラエティでも親しまれ、2017年の『ユン食堂』では海外で韓国料理店を切り盛りした。2020年の『ミナリ』でアーカンソーに渡った韓国系一家の祖母を演じ、2021年に韓国人俳優初のアカデミー賞助演女優賞を受賞。英国アカデミー賞や全米映画俳優組合賞も獲得した。
80歳目前の世界進出
受賞後もハリウッドとの仕事は続いた。2022年からApple TV+のドラマ『パチンコ』で晩年のソンジャを演じ、2025年には同性カップルを描くリメイク映画『The Wedding Banquet』に主人公の祖母役で出演した。2023年にはアメリカの大手エージェンシーCAAと契約している。2026年にはNetflix『BEEF/ビーフ』シーズン2でカントリークラブを買収する韓国人富豪を演じ、プライムタイム・エミー賞のリミテッドシリーズ部門助演女優賞に初めてノミネートされた。9月の授賞式には本人が出席したが、受賞は逃している。
エピソード
キム・ギヨン監督との因縁
デビュー映画の監督キム・ギヨンとの関係は、ユン・ヨジョンの俳優人生を語るうえで欠かせない。『火女』の現場は過酷で、ネズミを素手でつかむ場面まであった。もう二度と組まないと心に決めたのに、気づけば次の『虫女』にも出ていたという。なぜ私を選んだのかと問い詰めた彼女に、監督は笑いながら「わびしそうに見えたから」と答えた。監督は彼女を「私の言葉を理解した唯一の俳優」と評し、アレック・ギネスのような俳優になれとも言った。その真意がわかったのは、後年ギネスの思い切った役の変化を目にしてからだったと本人は語り、アカデミー賞のスピーチでも最初の監督として彼の名を挙げて感謝した。
「ブラッド・ピット、撮影中どこに?」
2021年のアカデミー賞授賞式で、プレゼンターを務め、『ミナリ』の製作にも関わったブラッド・ピットに向けて「やっとお会いできた。撮影中はどこにいらしたの」と冗談を言い、会場を沸かせた。自分の名前を間違えて呼ぶ欧米の人々を「今夜は許します」と笑い、同じ候補の俳優たちとは競争したとは思わない、自分は運がよかっただけだと語った。働きに出ろと口うるさい2人の息子への感謝で締めくくったこのスピーチは、ユーモアと謙虚さを兼ね備えたものとして韓国でも大きな話題となった。
語らない元夫、語った家族
元夫チョ・ヨンナムとの結婚生活について、ユン・ヨジョンは公の場でほとんど口にしない。詳しく語った数少ないインタビューでも名前は出さず、「あいつ」「C某歌手」と呼んだほどである。チョ・ヨンナムの側はトーク番組で、彼女が口を開けば自分は社会的に葬られていただろうと認めている。対照的に、2025年の『The Wedding Banquet』の宣伝インタビューでは、長男が2000年に同性愛者であるとカミングアウトし、同性婚が認められたニューヨークで家族そろって結婚式を挙げたことを初めて明かした。息子の夫を「息子よりも好き」と冗談めかし、韓国社会にも心を開いてほしいと語った。
プロフィール
作品
年は作品の公開日・放送開始日です。本人の参加時期を示すものではありません。
出典
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