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ピョン・ヒボン

변희봉Byun Hee-bong
俳優・女優

全羅南道長城郡出身の俳優(1942〜2023)。声優としてキャリアを始め、時代劇の名脇役として知られた後、ポン・ジュノ監督作品の常連として映画界でも存在感を示した。本名はピョン・インチョル。

更新 2026-10-09/出典確認 2026-10-09

生い立ちとデビューまで

声優から始まった俳優人生

ピョン・ヒボンは1942年、全羅南道長城郡に生まれた。本名はピョン・インチョルである。朝鮮大学校で法学を学んだが中退し、放送の世界へ進んだ。1963年に東亜放送(DBS)の声優1期生として採用され、1965年にはMBCの声優公募2期として活動の場を広げた。張りのある独特の発声は声優時代に磨かれたもので、のちにテレビや映画で演じる癖のある人物像にも生かされることになる。ラジオドラマや舞台を経て、1970年にMBCの反共ドラマ『香港101番地』でテレビドラマに初出演した。

活動の歩み

悪役から時代劇の名物脇役へ

テレビに出始めた頃は『捜査班長』などで犯人役を演じることが多く、悪役俳優としての印象が強かった。転機となったのは1980年代のMBC大河時代劇『朝鮮王朝五百年』で、「雪中梅」編の柳子光役が評判を呼び、広く名前を知られるようになった。その後も『燦爛たる黎明』で興宣大院君を演じ、大院君役が最も似合った俳優の一人として時代劇ファンに語られている。コミカルでありながら軽すぎず、悪人でもどこか憎めない人物を得意とし、MBCドラマの個性派脇役として長く活躍した。『田園日記』『第1共和国』『黎明の瞳』などにも出演している。

ポン・ジュノ作品で迎えた二度目の全盛期

1990年代にトレンディドラマが主流になると、ベテランの脇役に声がかかる機会は減り、経済的にも苦しい時期が続いた。一時は俳優をやめて故郷に帰ることまで考えていたという。その流れを変えたのが1999〜2000年の大ヒット時代劇『ホジュン 宮廷医官への道』で、主人公の後ろ盾となる成大監役で再び注目された。2000年にはポン・ジュノ監督の長編デビュー作『ほえる犬は噛まない』に出演し、以後『殺人の追憶』(2003年)の刑事班長、『グエムル -漢江の怪物-』(2006年)の一家の祖父、『オクジャ/okja』(2017年)のミジャの祖父と、監督の代表作に次々と起用された。『グエムル』では青龍映画賞の助演男優賞を受賞し、2020年には銀冠文化勲章を受けている。

エピソード

流行語と「大院君」の呼び声

『朝鮮王朝五百年』で手相を見ながら口にした「〜は私の手の内にあるのだ」という台詞は当時の流行語となり、この人気をきっかけに人生初のCM出演も果たした。風邪薬のCMでも同じ決め台詞を響かせ、視聴者の記憶に残った。また『燦爛たる黎明』の放送当時は、銭湯に行くたびに周囲から「大院位大監」と呼びかけられて困ったという裏話もある。役柄が本人のイメージとして定着するほど、強い印象を残す俳優だったことがうかがえる。

「死ぬ日まで演じる」

『オクジャ』はカンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品され、デビューから半世紀以上を経た老優が世界の舞台に立つ姿は大きな話題となった。生前は「死ぬ日まで演技をしたい」という趣旨の言葉で演技への執念を語っていた。晩年には膵臓がんの闘病を公表し、いったん完治の判定を受けたものの再発し、2023年9月18日に81歳で亡くなった。訃報にはポン・ジュノ作品を支えた名優として、多くの映画人から追悼が寄せられた。

プロフィール

生年月日
1942年6月8日[1]
出生地
長城郡[1]
国籍
韓国[1]
職業
俳優・女優[1]

作品

年は作品の公開日・放送開始日です。本人の参加時期を示すものではありません。

  1. 2017年オクジャAmazonで探す옥자出演[2]

出典

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  1. ピョン・ヒボン — 人物の構造化データWikidata/構造化出典/確認日 2026-10-09
  2. オクジャ — 出演者・公開日の構造化データWikidata/構造化出典/確認日 2026-10-09