カン・スヨン
3歳で子役デビューし、『シバジ』でベネチア国際映画祭の主演女優賞に輝いて「ワールドスター」と呼ばれた女優。ドラマ『女人天下』でも大きな人気を得た。晩年は釜山国際映画祭の執行委員長を務め、2022年に55歳で世を去った。
更新 2026-10-09/出典確認 2026-10-09
生い立ちとデビューまで
3歳で始まった俳優人生
1966年生まれ。芸歴の始まりは驚くほど早く、1969年、3歳で映画の子役に起用されている。その後TBC(東洋放送)の専属子役となって本格的に演技を学び、1980年の言論統廃合でTBCが消えてからはKBSに軸足を移した。1981年には音楽番組の司会も経験している。10代の人気を決定づけたのが1983年の青春ドラマ『고교생 일기(高校生日記)』で、ソン・チャンミンとともに当時を代表するティーンスターとなった。高校を卒業した1985年には映画『고래사냥 2(鯨とり2)』に出演し、成人俳優としての一歩を踏み出した。
活動の歩み
ワールドスターの誕生
飛躍の年となったのは1987年である。『미미와 철수의 청춘스케치(ミミとチョルスの青春スケッチ)』がその年の韓国映画興行1位を記録し、大鐘賞では同年の『우리는 지금 제네바로 간다(私たちは今ジュネーブへ行く)』で初の主演女優賞を受けている。同じ年の『シバジ』は国内では客が入らなかったものの、ベネチア国際映画祭で主演女優賞を獲得。東アジアの俳優として初めての快挙で、ここから「ワールドスター」の呼び名が定着した。1989年には尼僧を演じた『아제 아제 바라아제』でモスクワ国際映画祭の主演女優賞も手にし、『경마장 가는 길(競馬場へ行く道)』など話題作が続いた。その後も大鐘賞や青龍映画賞などで主演女優賞を重ねた。
世代交代を越えて『女人天下』へ
1994年のスリラー『장미의 나날(薔薇の日々)』は酷評と興行不振に終わり、後輩女優の台頭やテレビ出身女優の映画進出もあって世代交代が進んだ。それでも1999年の『송어(マス)』は興行こそ振るわなかったが、東京国際映画祭で特別賞、百想芸術大賞で最優秀演技賞を得た。2001年にはSBS『女人天下』で野心家チョン・ナンジョンを演じ、最高視聴率49.9%の大ヒットに。この役でチョン・インファとともにSBS演技大賞の大賞を受賞した。2015年には釜山国際映画祭の共同執行委員長に就任したが、2017年に職員から独断的な運営を批判する声明が出され、同年限りで自ら職を退いた。
エピソード
剃髪と「カネはなくても」
『아제 아제 바라아제』では尼僧役のために実際に頭を剃り、撮影地の仙巌寺の近くに数か月寝泊まりして役に入り込んだ。モスクワでこの演技を評価した審査委員長は、ポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダだった。映画人の集まりで場が沈んだとき、立ち上がって「俺たちは金はなくてもプライドはある」と皆を鼓舞したという話も有名で、居合わせたリュ・スンワン監督はこの言葉を2015年の映画『ベテラン』でファン・ジョンミンの台詞に使った。本人は、権力や金がなくても人として職業人として誇りを失う必要はない、という意味で好んで口にしていたという。
遺作となった『JUNG_E/ジョンイ』
2013年の短編を最後に演技から離れていたが、2021年、ヨン・サンホ監督のNetflix映画『JUNG_E/ジョンイ』への出演が発表され、長編としては約10年ぶりの復帰となった。2022年1月に撮影を終えたものの、同年5月5日に自宅で倒れ、脳出血と診断されて意識が戻らないまま5月7日に55歳で亡くなった。奇しくもその日は全州国際映画祭の最終日で、閉幕式は訃報と追悼から始まった。葬儀は映画人葬として営まれ、研究所のチーム長ソヒョンを演じた『JUNG_E』は2023年1月に配信されて遺作となった。
プロフィール
作品
年は作品の公開日・放送開始日です。本人の参加時期を示すものではありません。
出典
リンク先の著作権は各発行元に帰属します。本文は転載せず、確認した事実をもとに書き起こしています。
- カン・スヨン — 人物の構造化データWikidata/構造化出典/確認日 2026-10-09
- JUNG_E/ジョンイ — 出演者・公開日の構造化データWikidata/構造化出典/確認日 2026-10-09