イ・ギョンヨン
1990年代に「忠武路(韓国映画界)の四大俳優」の一人と呼ばれた二枚目スターで、2000年代初めの事件による長い自粛を経て、権力者や黒幕役を一手に引き受ける名脇役として復活した俳優である。
更新 2026-10-08/出典確認 2026-10-09
生い立ちとデビューまで
苦学を重ねた末の銀幕デビュー
1960年12月、忠清北道の中原郡(現在の忠州市)で4男2女の末っ子として生まれた。家計は母の針仕事が頼りで、本人も縫製工場や建設現場など、さまざまな働き口を渡り歩いたという。忠州高校から忠南大学に進んだが長続きせず中退し、軍に入隊する。除隊後、俳優を目指して漢陽大学の演劇映画科に編入した。1980年代後半、『アダダ』やイム・グォンテク監督の『燕山日記』で映画に出演するようになり、『燕山日記』で中宗を演じた際の出演料は30万ウォンだったと伝えられる。
活動の歩み
メロドラマの紳士から犯罪映画の黒幕へ
1990年代前半にはパク・チュンフン、アン・ソンギ、チェ・ミンスと並ぶ映画界の看板俳優となり、甘いマスクと穏やかな物腰で恋愛映画の主役を担った。一方で『ホワイト・バッジ』(原題『하얀 전쟁』)では百想芸術大賞の映画部門最優秀演技賞を受け、脱獄囚を演じた『세상 밖으로(世の中の外へ)』のように荒々しい役もこなした。90年代後半に映画の世代交代が進むと、1998年からはテレビに軸足を移し、SBS『로맨스(ロマンス)』で1998年のSBS演技大賞優秀演技賞、翌1999年には『크리스탈(クリスタル)』などで同賞の最優秀演技賞を受けた。2001年のKBS『푸른 안개(青い霧)』でも話題を集め、2002年の映画『夢中人』では監督にも挑んだ。
事件と自粛、そして異例の多作
順調だった歩みは2000年代初め、未成年者との買春事件で止まる。2002年に有罪判決が確定し、地上波各局の出演禁止リストにも載った。それでも2010年代に入ると映画で再び存在感を取り戻し、『折れた矢』の判事、『南営洞1985』の拷問刑事、『26年』『ベルリンファイル』『テロ,ライブ』などで次々と存在感を示した。2014〜15年ごろには出演作が途切れないほどの多作ぶりで、ドラマ『ミセン-未生-』にも出演。『少数意見』で百想芸術大賞の映画部門助演賞を受けた。地上波では2019年のSBS『ヘチ 王座への道』『バガボンド』で本格復帰し、2023年にはKBSの『純情ボクサー』にも特別出演している。
エピソード
「またギョンヨン」と「進行させろ」
権力者の役であまりに頻繁に顔を出すため、観客の間では「또경영(またギョンヨン)」というあだ名が定着した。ネットでは、彼が演じる黒幕が「재밌네, 진행시켜(面白い、進めろ)」と命じるという定番ネタまで生まれたが、実際の出演作で彼がこの台詞をそのまま口にしたことはなかった。それが2022年のドラマ『アゲイン・マイ・ライフ』第14話でついに本当に発せられ、脚本家は後にミームを狙った場面だったと認めている。その後も、2025年の『模範タクシー3』では怪しげな僧侶役を演じ、またもミームを連想させる黒幕ぶりが話題になった。
弟分キム・ミンジョンとの30年
11歳年下のキム・ミンジョンとは1990年代から義兄弟のような間柄である。映画『三人組』の宣伝で情報番組に出演した際、司会者に何度も促されたキム・ミンジョンが劇中の悪態をそのまま叫んでしまう放送事故が起きた。凍りついたスタジオで、イ・ギョンヨンは笑顔で「今後は彼の言葉づかいの教育まで責任を持ちます」と収め、紳士ぶりが評判になった。2024年には二人で洗車場「ヨンチャ」を開業し、共同のYouTubeチャンネルでトーク企画も始めている。私生活では1997年に12歳年下の女優イム・セミと結婚したが、翌1998年に離婚した。2020年12月には一般女性との再婚準備が報じられたものの、本人側は親しい知人にすぎないとして否定している。
プロフィール
作品
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出典
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- イ・ギョンヨン — 人物の構造化データWikidata/構造化出典/確認日 2026-10-08
- クイーンメーカー — 出演者・公開日の構造化データWikidata/構造化出典/確認日 2026-10-08
- ハベクの新婦 — 出演者・公開日の構造化データWikidata/構造化出典/確認日 2026-10-08
- ミスティ — 出演者・公開日の構造化データWikidata/構造化出典/確認日 2026-10-08
- ムルゲ 王朝の怪物 — 出演者・公開日の構造化データWikidata/構造化出典/確認日 2026-10-08