チョン・ウ
チョン・ウは1981年釜山生まれの韓国の俳優・映画監督である。端役から下積みを重ね、自伝的映画『바람』(風)で注目された後、『応答せよ1994』で一躍スターに。2026年には監督デビュー作『짱구』を発表した。妻は俳優のキム・ユミ。
更新 2026-10-08/出典確認 2026-10-09
生い立ちとデビューまで
「チャング」と呼ばれた少年
本名はキム・ジョングク。1981年1月14日、釜山の東区に生まれた。2〜3歳の頃からのあだ名は「チャング」で、のちにこの呼び名を自伝的な作品の主人公に与えることになる。商業高校に進んだが、高校3年生だった1998年に父を肝臓がんで亡くしている。高校時代はやんちゃな日々を送っていたことを、のちに自ら脚本に関わった映画で隠さず描いた。大学入試では浪人を経験し、ソウルの大学で映画を学びながら俳優を目指した。2001年の映画『7인의 새벽』(7人の夜明け)の端役でスクリーンに初めて立ち、以後しばらくは名もない役を数多くこなす下積みが続いた。
活動の歩み
『風』から『応答せよ』へ
2000年代は映画『品行ゼロ』『同い年の家庭教師』『ユゴ 大統領有故』『死生決断』『相棒 シティ・オブ・バイオレンス』や、ドラマ『悲しき恋歌』『シンデレラマン』などで、端役や助演を地道に重ねた。2008年の『스페어』(スペア)では初めて映画の主演を務めている。転機は、自分の高校時代をもとに共同で脚本を書き主演した2009年の映画『바람』(風)である。小規模な独立映画ながら約10万人を動員し、のちに口コミで長く愛される作品となって、2010年には大鐘賞の新人男優賞をもたらした。この間、2010年8月から社会服務要員として兵役に就き、2012年に召集解除となる。復帰後のKBS2『最高です!スンシンちゃん』で2013年のKBS演技大賞新人賞を受け、続くtvN『応答せよ1994』の「スレギ」役で社会現象的な人気を得た。
映画中心の歩みと監督デビュー
人気絶頂の後は映画に軸足を置き、『セシボン』『ヒマラヤ』『再審』『興夫』に出演した。撮影済みの作品の公開が相次いで延期され空白期が長く見えた時期もあったが、2020年以降に『이웃사촌』(隣人)、『뜨거운 피』(熱い血)が公開され、ドラマでもカカオTV『このエリアのクレイジーX』、Netflix『模範家族』、tvN『メンタルコーチ チェガル・ギル』、JTBC『奇跡の兄弟』と主演が続いた。2023年には釜山国際映画祭の俳優賞審査員を務めている。2026年4月には『바람』の主人公のその後を描く『짱구』を公開し、脚本・共同演出・主演を兼ねて監督デビューを果たした。翌5月にはサラムエンターテインメントへ移籍している。
エピソード
遠回りが生んだ縁
『바람』での演技を見た演出家シン・ウォンホは『応答せよ1997』に彼を起用しようとしたが、兵役中で実現しなかった。召集解除後に『1994』で組むことになり、結果的に代表作が生まれたことになる。デビューから12年目に受けたKBS演技大賞の新人賞では、スピーチの途中で涙をこらえきれなかった。同じ年の大みそかには、『応答せよ1994』の視聴率公約を果たすため明洞でフリーハグを行っている。ドラマのヒットを受けて、2014年には韓国GMのシボレー・マリブの広告モデルにも起用された。2016年1月に俳優キム・ユミと教会で式を挙げ、同年12月に娘が誕生した。2016年には『花よりも青春 アイスランド』に出演し、結婚についての悩みを打ち明けている。
プロフィール
作品
年は作品の公開日・放送開始日です。本人の参加時期を示すものではありません。
出典
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