ユチョン
東方神起のメンバー「ミッキー・ユチョン」としてデビューし、JYJを経て俳優としても『トキメキ☆成均館スキャンダル』などで成功した歌手・俳優。2019年の薬物事件で有罪判決を受けて韓国での活動基盤を失い、現在は主に日本でファンミーティングや出演活動を続けている。
更新 2026-10-09/出典確認 2026-10-09
生い立ちとデビューまで
米国バージニアで過ごした少年期
ユチョンは1986年6月4日にソウルで生まれた。5歳下の弟は、のちに俳優として活動するパク・ユファンである。1998年、アジア通貨危機の直後に家族で米国へ移住し、バージニア州で10代を過ごした。東方神起時代の芸名「ミッキー(Micky)」は、米国暮らしの頃に使っていた英語名がもとになっている。本人は好きなキャラクターとして鉄腕アトムとミッキーマウスを挙げており、それが名前の由来だと語っている。学生時代から歌手を夢見て、在米韓国人向けの歌謡大会に出場するようになった。
わずか半年の練習生期間
歌手デビューのきっかけは、在米韓国人向けの歌謡大会だった。2001年の大会で賞を受け、2003年6月のKBN歌謡祭でも人気賞に選ばれたことで、SMエンターテインメントから声がかかった。練習生として過ごしたのは半年ほどとされ、数年がかりで準備するのが普通だった同事務所では異例の短さである。アメリカの学校からほぼそのまま韓国へ渡り、短期間でグループに加わった経緯や、優しげな顔立ちは、同じ在米韓国人出身のH.O.T.のトニー・アンを思わせるとしてよく比べられた。こうして2004年、5人組・東方神起の一員として本格的にデビューを果たす。
活動の歩み
東方神起からJYJへ
東方神起は韓国でも日本でも頂点に立ち、韓国の年末授賞式で大賞を4度手にした。愛嬌のある顔立ちと英語のラップを武器に、ユチョン個人のファンも多かった。転機は人気の最中の2009年7月に訪れる。ジェジュン、ジュンスとともに、長すぎる契約期間や収益の配分を不服としてSMを提訴し、専属契約は効力がないと主張したのである。3人は同年末の『NHK紅白歌合戦』のステージを最後にグループを離れ、2010年にJYJとして再出発した。争いは2012年11月の和解でようやく決着し、3人の契約は提訴時の2009年7月31日にさかのぼって終了したとみなされた。
俳優として頭角を現す
JYJとしてはワールドツアーを開く一方、ユチョンは個人では演技に軸足を移した。初の本格的な主演となった2010年のKBSドラマ『トキメキ☆成均館スキャンダル』で成均館の儒生イ・ソンジュンを演じて大ヒットさせ、以後『ミス・リプリー』『屋根部屋のプリンス』『会いたい』『スリーデイズ』『匂いを見る少女』と話題作の主演が続いた。映画初出演の『海にかかる霧』(2014年、ポン・ジュノ製作)では青龍映画賞をはじめ数々の映画賞で新人賞を受け、2015年にはSBS演技大賞の最優秀賞も獲得した。SMとの対立の余波でJYJの放送出演は難しかったが、ドラマを通じて茶の間に顔を出し続けられたのは3人の中でユチョンだけだったと言われる。
相次ぐ事件と日本での活動
社会服務要員として兵役中だった2016年、性的暴行の疑いで複数の女性から告訴された。捜査の結果、性暴行と買春については嫌疑なしとされ、告訴した女性の一人は虚偽告訴罪で実刑判決を受けた。ただし、服務中に風俗店へ出入りしていた事実は明らかになり、国内のイメージは大きく傷ついた。2019年4月には元婚約者の女性とともに覚醒剤を使用した疑いが浮上し、同年7月に懲役10か月・執行猶予2年の判決を受けた。所属事務所C-JeSは専属契約を解除し、JYJからも事実上離れることになった。以後は日本を中心にファンミーティングや出演活動を続けている。
近年の状況
韓国では事実上活動の場を失った一方、日本ではファンコンサートやテレビ番組への出演を重ね、2025年にもその近況が韓国メディアで報じられた。譲渡所得税など約4億ウォンを滞納しているとして、高額滞納者名簿に名前が載ったことも話題になった。2026年7月には日本の所属事務所が、各種訴訟は終結し、滞納分は分割納付の計画に沿って年内に完納する予定だと発表した。これに対し前所属事務所側は「終結した状態ではない」と反論したと報じられており、すべてが片付いたとは言い切れない状況が続いているのが実情である。
エピソード
「ミッキーをけなせば…」
東方神起時代の人気ぶりを示す言葉として、ネット上では「ミッキー・ユチョンをけなす者は容赦しない」という意味の略語「ミッカサル」が出回ったほどだった。英語が堪能なメンバーとして、ラップや海外向けの場面で存在感を示し、甘いルックスとのギャップもファンを惹きつけた。JYJとして活動した時期にもワールドツアーを開くなど人気は衰えず、2010年代前半のユチョンは、歌手と俳優の両方で第一線に立つ数少ない存在だった。米国育ちで英語名を芸名にした点、短い練習生期間を経て合流した点まで先輩のトニー・アンと重なることから、両者はたびたび並べて語られた。グループ脱退後も日本のファンとの結びつきは特に強く、後年の活動拠点が日本に移っていく下地にもなった。
否定会見と引退表明の行方
2019年の薬物疑惑では、ユチョンは異例の速さで自ら記者会見を開き、薬物は使っていないと強く否定したうえで、もし事実なら芸能界を引退すると言い切った。しかし国立科学捜査研究院の精密検査で体毛から陽性反応が出たと報じられ、逮捕後に容疑を認めた。同年7月に執行猶予付きの判決を受けて釈放された。ところがその後、日本などで活動を再開したことから、韓国では「引退宣言を覆した」として厳しい批判が続いた。
1日6000本の記事
2016年の告訴騒動は、告訴が報じられただけで1日に約6000本の記事が出たと言われるほどの騒ぎになった。あまりの注目度に警察庁長官が公正な捜査を約束し、12人もの捜査員が担当する異例の態勢が組まれたという。結論は性暴行・買春とも嫌疑なし。その後、告訴した女性たちの裁判は明暗が分かれ、一人は虚偽告訴の罪で一審懲役2年、控訴審で懲役1年8か月の実刑となったが、もう一人は国民参与裁判で無罪とされ、検察の不服申し立ても退けられて大法院で無罪が確定した。この間、ファンは公判に足を運び、虚偽告訴への厳罰を求める嘆願書を出してユチョンを支えた。
プロフィール
作品
年は作品の公開日・放送開始日です。本人の参加時期を示すものではありません。
出典
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- ユチョン — 人物の構造化データWikidata/構造化出典/確認日 2026-10-09
- 海にかかる霧 — 出演者・公開日の構造化データWikidata/構造化出典/確認日 2026-10-09