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キム・ヨンギョン

김연경Kim Yeon-Koung
俳優・女優

韓国女子バレーボールを20年にわたって牽引したアウトサイドヒッター。日本・トルコ・中国でもプレーし「バレーの女帝」と呼ばれた。2025年の引退後はMBCのバラエティ『新人監督キム・ヨンギョン』で監督役に挑み、タレントとしても脚光を浴びている。

更新 2026-10-09/出典確認 2026-10-09

生い立ちとデビューまで

小柄な控え選手からの出発

キム・ヨンギョンは1988年に京畿道安山で生まれた。小学4年のとき姉の後を追ってバレーボールを始めたが、中学3年になっても身長は170センチに届かず、セッターやリベロとしてベンチを温めることが多かった。競技をやめようと考えた時期もあったが、両親や指導者に引き留められて続けたという。転機は高校時代に訪れる。水原の韓一電算女子高校(現・韓逢高校)に進むと3年間で20センチ以上も背が伸び、1年の冬からアタッカーに転向した。守備役で身につけたレシーブとトスの技術に高さが加わったことで、のちの万能型エースの土台ができあがった。

活動の歩み

国内での席巻と海外挑戦

2005年、ドラフト1巡目1位で興国生命に入団すると、1年目から主砲として活躍し、2005-06シーズンからリーグ優勝やMVPを立て続けに手にした。早くから海外志向を口にしていたが、球団側は慎重で、2009年に日本のJTマーヴェラスへ期限付きで移籍してようやく国外へ出た。2011年にはトルコの名門フェネルバフチェに加わり、クラブにとって初の欧州チャンピオンズリーグ制覇に貢献して自身もMVPに選ばれている。この時期には興国生命との間で保有権をめぐる移籍紛争が起き、国際バレーボール連盟の判断を仰ぐ騒ぎにもなった。その後もトルコのエジザジュバシュ、中国の上海でプレーし、世界最高水準の年俸を受け取る選手として知られた。

代表のエースから引退、そして監督役へ

代表では2012年ロンドン五輪で韓国を4強に導き、メダルを逃したチームから大会MVPに選ばれるという異例の評価を受けた。東京五輪でも再び4強入りを果たし、これを最後に代表から退いた。クラブでは2020年に古巣の興国生命へ戻り、一度上海に出たあと2022年に再復帰。2024-25シーズンには統合優勝とチャンピオン決定戦MVPを手にして現役を退き、背番号10は永久欠番となった。引退後はMBCのバラエティ『新人監督キム・ヨンギョン』で寄せ集めのチームを率いる監督役に挑戦し、2025年のMBC芸能大賞では新人賞など複数の賞を受けた。2026年10月からはシーズン2が始まり、プロ女子リーグの新球団創設という目標を掲げている。

エピソード

率直な言葉と「監督」の素顔

飾らない物言いでも知られる一方、後進への支援も惜しまない。日本でプレーしていた頃には、受け取った年俸の一部を「キム・ヨンギョン奨学金」に充てたと伝えられている。興国生命に戻った2020年には、それまでの海外での年俸から大幅に減額された契約を受け入れたことも話題を呼んだ。『新人監督』シーズン2を前にした取材では、コート脇で声を張り上げる姿に賛否があることを認めつつ、のどを惜しまず選手を鼓舞し続けると語った。苦労を避けたくて引退したのにまた大変な役目を引き受けてしまった、と笑う姿にも、勝負師としての気質がのぞく。

プロフィール

生年月日
1988年2月26日[1]
出生地
安山市[1]
国籍
韓国[1]
職業
俳優・女優[1]

作品

年は作品の公開日・放送開始日です。本人の参加時期を示すものではありません。

  1. 2022年韓国No.1を探せ!Amazonで探す코리아 넘버원出演[2]

出典

リンク先の著作権は各発行元に帰属します。本文は転載せず、確認した事実をもとに書き起こしています。

  1. キム・ヨンギョン — 人物の構造化データWikidata/構造化出典/確認日 2026-10-09
  2. 韓国No.1を探せ! — 出演者・公開日の構造化データWikidata/構造化出典/確認日 2026-10-09