キム・ユナ
ロックバンド紫雨林(Jaurim)のボーカルでメインプロデューサーを務めるシンガーソングライター。1997年にデビューし、ソロでも「春の日は過ぎゆく」などを発表。曲ごとに歌唱法を変える独特の歌声で知られる。
更新 2026-10-09/出典確認 2026-10-09
生い立ちとデビューまで
PC通信と弘大のクラブから
キム・ユナは1974年、ソウルで生まれた。1990年代半ばにはメタル好きの音楽ファンとして、PC通信の音楽同好会で活動していた。1996年11月、客演キーボード奏者として出ていたバンドのライブを、のちの紫雨林のベーシスト、キム・ジンマンが見て、彼女をボーカルに誘う。こうしてできたバンドは「ミウンオリ(みにくいアヒルの子)」と名乗り、翌1997年3月にドラマーが加わってメンバーがそろった。演奏の場は弘大のライブクラブ「ブルーデビル」で、人気バンドが週末を受け持つなか、彼らの出番は平日の木曜日だった。
一日で決めたバンド名
転機は偶然に訪れた。ある土曜日、本来の出演バンドの都合で代わりにステージに立っていたところへ、映画『꽃을 든 남자(花を持った男)』の制作チームがやって来る。彼らは別のバンドにOSTを頼むつもりだったが、結果としてミウンオリが参加することになった。ところが音源のプレス直前、制作側から「バンド名が素人っぽい」と改名を求められ、キム・ユナが急いで考えたのが「紫の雨が降る森」を意味する「紫雨林(자우림)」だった。1997年、このOSTに収録された「Hey Hey Hey」がヒットし、紫雨林は一気に世に知られることになる。
活動の歩み
バンドとソロの二つの顔
紫雨林ではボーカルとキーボード、ギターに加え、メインプロデューサーとして多くの曲を手がけてきた。ソロでは2001年に映画『春の日は過ぎゆく』のOSTを歌い、同年に1stアルバム『Shadow of Your Smile』を発表。その後も『琉璃假面』(2004年)、『315360』(2010年)、『타인의 고통(他人の苦痛)』(2016年)とアルバムを重ね、2011年には韓国大衆音楽賞で「ネットユーザーが選んだ今年の音楽人」に選ばれた。デビュー初期は喉を酷使する歌い方が多かったが、3集の頃から喉に負担の少ない発声へ切り替え、のちに『私は歌手だ』などで歌唱力を改めて示した。2025年11月には紫雨林として4年ぶりの正規12集『LIFE!』を発表し、2026年8月には9月の単独ソロ公演『Coffee and Cigarette』の開催を発表した。
オーディション番組の審査員として
2011年には、MBCのオーディション番組『위대한 탄생(偉大なる誕生)』でメンターを務めた。言葉づかいは丁寧ながら、指摘は容赦なく核心を突く。厳しさと温かさの釣り合いが取れた審査は好評で、それまで彼女に冷ややかだった視聴者の印象を変えた番組とも言われる。一方で負担は大きく、番組終盤には顔面神経のまひのため眼帯姿で登場し、決勝の舞台には姿を見せられなかった。のちにラジオで、自分の一言が参加者の人生を左右しかねないという重圧は『私は歌手だ』出演時よりはるかに大きかった、という趣旨を語っている。
エピソード
率直な発言と闘病
2006年に一般男性と結婚した。2011年のトーク番組では「自分は非主流」と話したところ、他の出演者から「非主流になりたい主流では」と突っ込まれ、ネット上で長く話題になった。2023年8月、福島第一原発の処理水放出をめぐってSNSで怒りをあらわにすると賛否が殺到し、政権与党の代表が名前を伏せて批判する事態にまで発展した。所属事務所は「政治的立場の表明ではなく、環境汚染への懸念だった」と説明している。近年は脳神経麻痺の後遺症と闘っていることを明かしながらも、ステージに立ち続けている。
プロフィール
作品
年は作品の公開日・放送開始日です。本人の参加時期を示すものではありません。
- 2016年타인의 고통歌唱[2]
出典
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- キム・ユナ — 人物の構造化データWikidata/構造化出典/確認日 2026-10-09
- 타인의 고통 — 出演者・公開日の構造化データWikidata/構造化出典/確認日 2026-10-09