キム・ジョンミン
キム・ジョンミンは韓国の歌手・タレントで、混成グループ、コヨーテのメンバーである。人気歌手のバックダンサーから2000年にコヨーテへ加わり、バラエティ『1泊2日』での天然キャラクターで国民的な人気を得た。2016年にはKBS芸能大賞の大賞を受けている。
更新 2026-10-08/出典確認 2026-10-09
生い立ちとデビューまで
「Vマン」と呼ばれたダンサー時代
1979年9月24日、ソウルの道峰区に生まれた。学生時代は体操を少し習ったほど身のこなしに恵まれ、ソウル・水踰洞のクラブで独自のスタイルを見せて、ダンサー仲間の間で名前が知られるようになった。高校生だった1995年頃からはダンサー一本で活動し、一時はSMエンターテインメントのオーディションも受けている。結果は「まずダンサーとして」という通知で、本人は落ちたと受け取って諦めたが、のちに『ラジオスター』で同じ時期に練習生だったムン・ヒジュンから、それは事実上の合格だったと聞かされ、笑いを誘った。その後、パク・ナムジョン時代から続く名門ダンスチーム「フレンズ」に入り、1996年からR.efやクピのステージに立つ。1998〜99年には当時トップの女性歌手オム・ジョンファの専属ダンサーとなり、「Poison」で指でVの字を描く振付から「Vマン」というあだ名がついた。家の前でファンが待つほど、歌手よりダンサーの彼が目立った時期である。
活動の歩み
コヨーテ加入と『1泊2日』
2000年、3rdアルバムの活動に合わせてコヨーテに客員として加わり、活動を一度離れたのち2001年に正式メンバーとなった。シンジ、ペッカとともに、ダンス歌謡のヒット曲を出し続ける三人組として現在まで活動している。転機はバラエティだった。2007年、KBSの『1泊2日』シーズン1の初期メンバーとなり、とぼけた受け答えで笑いを取った。同年11月から2009年12月までは社会服務要員としてソウル高等法院で勤務し、その間は番組を離れた。招集解除の際には、勤務先から模範的に勤めたと評価されている。
試練を越えて芸能大賞へ
復帰直後の『1泊2日』では、ブランクで感覚が鈍り、存在感がない「屏風」とまで言われた。番組からの降板を求める請願まで出たが、プロデューサーのナ・ヨンソクやコヨーテの仲間に支えられて踏みとどまったと、2025年の『ユ・クイズ ON THE BLOCK』で振り返っている。その後も長く番組を支え続け、2016年のKBS芸能大賞で大賞を受賞した。長年の苦労が報われた瞬間として記憶されている。以後も『미운 우리 새끼(憎らしいうちの子)』などに出演し、2020年にはMBCの『遊ぶなら何する?』の企画で、かつての「主人」オム・ジョンファと「Poison」「Festival」を踊って当時の記憶を呼び起こした。
エピソード
オム・ジョンファとの20年来の縁
ダンサー時代の経歴を隠すどころか、自分が歌手になれた土台だと語ることが多い。2001年の年末歌謡祭ではオム・ジョンファのステージに「Vマン」として飛び入りし、2017年の『不朽の名曲』オム・ジョンファ編にも出演して恩を忘れていないと語った。『遊ぶなら何する?』では、10歳年上の姉のような存在だったため、好意を口にできなかったと打ち明け、本人ににらまれる一幕もあった。オム・ジョンファの弟オム・テウンが『1泊2日』に加わった際も、ダンサー時代から知り合いだったと明かしている。当時の彼を見て「あんなダンサーになりたい」と思ったと振り返るのがフィソンで、のちのバラエティでの姿には驚いたと語った。
結婚と父親になる知らせ
長く独身を通したが、2025年4月20日、11歳年下の一般人女性とソウル市内のホテルで結婚式を挙げた。式には芸能界の仲間が数多く駆けつけ、話題になった。2026年10月には、妻が妊娠中であることを公表し、父親になることを明かしている。現在もコヨーテの活動とバラエティ出演を並行させている。
プロフィール
作品
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出典
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- キム・ジョンミン — 人物の構造化データWikidata/構造化出典/確認日 2026-10-08
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