チャン・ドンゴン
1992年にMBC公募タレントとしてデビューした俳優である。青春ドラマで人気を得た後、『友へ チング』『ブラザーフッド』などの大ヒット映画で韓国を代表するスターとなった。2020年の私的メッセージ流出騒動を経て、2024年の『普通の家族』でスクリーンに戻った。
更新 2026-10-08/出典確認 2026-10-09
生い立ちとデビューまで
公募タレントから青春スターへ
チャン・ドンゴンは1972年3月7日、ソウルに生まれた。文一高校を卒業後、韓国芸術総合学校の演劇院に進んだが中退している。芸能界への入口となったのは1992年のMBC第21期公募タレントの合格で、同年のドラマ『息子と娘』で演技を始めた。続く青春ドラマ『われらの天国』で若い視聴者の注目を集め、デビュー当初から彫りの深い顔立ちが話題をさらった。俳優キム・スロは初めて会ったときの印象を、整った男性の見本のようだったと振り返っている。
活動の歩み
ドラマの人気から映画の主演へ
1994年のバスケットボールドラマ『最後の勝負』で爆発的な人気を得て、その後も『モデル』『医家兄弟』などに主演した。ただ初期は容姿ばかりが先行し、演技は厳しく評価されることが多かった。転機は映画で、1999年の『NOWHERE ノーウェアー』で青龍映画賞の助演男優賞を受け、2001年の『友へ チング』では800万人超を動員した。2004年の『ブラザーフッド』は1,000万人を突破する大ヒットとなり、同作で青龍映画賞の主演男優賞を手にした。青龍映画賞で新人・助演・主演の三賞をすべて受けた数少ない俳優の一人である。
海外進出と円熟期
2000年代には『ロスト・メモリーズ』『タイフーン』などの大作に出演し、アジア全域で知られる韓流スターとなった。2010年の『ウォリアーズ・ウェイ』でハリウッドに挑み、オダギリジョー、ファン・ビンビンと共演した大作『マイウェイ 12,000キロの真実』にも主演した。2012年のドラマ『紳士の品格』では40代の独身男性を軽妙に演じ、大人の男の魅力という新しい顔を見せた。その後も『V.I.P.』『7年の夜』『王宮の夜鬼』など、悪役や癖のある人物にも挑んでいる。2024年には『普通の家族』で約6年ぶりにスクリーンへ戻り、小児科医の役で抑えた演技が評価された。2024年にはタイ・バンコクでの全編ロケでアクション映画『열대야』(熱帯夜)を撮り終えており、インターポール捜査官役での新作として公開が待たれている。
エピソード
「チング」の名場面と私生活
『友へ チング』の「お前が行け、ハワイ」という台詞は、今も韓国で繰り返し引用される名場面である。撮影時、監督から声をかすれさせるため水を控えて強いたばこを吸い続けるよう求められたと伝えられている。私生活では2009年に女優コ・ソヨンとの交際を公表し、2010年5月に結婚、1男1女の父となった。長く「スキャンダルのない模範的なスター」と見られてきたが、2020年1月、俳優チュ・ジンモの携帯電話がハッキングされた事件で、チャン・ドンゴンとの私的なやり取りとされる内容が流出したと報じられ、そのイメージは大きく揺らいだ。以後しばらく表立った活動を控えたのち、映画で本業に戻っている。
「ハンサム」との付き合い方
容姿についての本人の語り口は、年齢とともに変わってきた。デビュー後しばらくは、自分が美男子だという自覚はないと話し、それを謙遜と受け取られることに戸惑っていた。50代が近づく頃には一転し、くたびれた役柄に挑んでも見た目のせいで思うように崩れないと笑ってみせるなど、ハンサムという評判をユーモアの材料にするようになっている。芸能人野球チーム「プレイボーイズ」で長くプレーした野球好きとしても知られている。
プロフィール
作品
年は作品の公開日・放送開始日です。本人の参加時期を示すものではありません。
出典
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- チャン・ドンゴン — 人物の構造化データWikidata/構造化出典/確認日 2026-10-08
- アスダル年代記 — 出演者・公開日の構造化データWikidata/構造化出典/確認日 2026-10-08
- SUITS/スーツ〜運命の選択〜 — 出演者・公開日の構造化データWikidata/構造化出典/確認日 2026-10-08