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PSY

싸이Psy
俳優・女優歌手

1977年生まれの韓国の歌手・プロデューサー。2001年に「エンギ(猟奇)歌手」として登場し、2012年の『江南スタイル』で世界的ブームを起こした。大麻事件や兵役のやり直しを経て復活し、現在は事務所P NATIONを率いる経営者でもある。

更新 2026-10-09/出典確認 2026-10-09

生い立ちとデビューまで

原則主義の父と反抗児

PSYこと本名パク・チェサンは1977年12月31日、ソウルに生まれた。父は納税表彰を何度も受けるほど几帳面な事業家で、家族も模範的だったが、本人だけは幼い頃から型破りだった。後年のトーク番組で語ったところでは、7歳のとき公園の「立ち入り禁止」の花壇に入り込んで走り回り、母を本気で心配させたという。学生時代もいたずら好きで教師を手こずらせ、とりわけ父とは衝突が絶えなかった。1996年、家業を継ぐ準備として経営学を学ぶという名目で、米国留学に旅立つ。

ボストンで見つけた音楽

ボストン大学で経営学を学ぶはずだったが、到着するなり休学して学費を払い戻させ、その金でクラブ通いに明け暮れた。夜遊びのなかで本格的に音楽をやりたいと思い立ち、次の学期の学費で楽器と機材を買い込んで独学で作曲・編曲を学び、バークリー音楽大学に合格する。ところが大学が保護者向け行事の招待状をソウルの実家に送ったことで、留学の実態が両親に露見。激怒した父は仕送りを打ち切った。米国に残るため、韓国系のナイトクラブなどで自作のリミックスCDを売って食いつないだが、やがて売れ行きが落ち、それなら自分で歌おうと決める。

声で採用、顔で足止め

帰国後はパソコン通信の音楽同好会に出入りし、渡米前からの知人だったラッパーのチョPDの曲「カサノバ」に客演した。これがきっかけで1999年10月に芸能事務所の目に留まる。ところが電話越しの低い声だけを聞いて呼び寄せた社長は、本人に会うなり外見を理由に社員を怒鳴りつけたという。デビューは1年以上先送りされ、2001年1月、全曲を自らプロデュースした1集『Psy From The Psycho World!』でようやく世に出た。デビュー曲「鳥(새)」は、ショッキング・ブルーの「ヴィーナス」をバナナラマがカバーしたバージョンをサンプリングした一曲である。

活動の歩み

「エンギ歌手」の栄光と転落

袖なしの衣装、太めの体型、「完全にカモられた(새 됐어)」といった過激な歌詞は、当時の地上波では異物そのものだった。だがそれが「猟奇(エンギ)」ブームと噛み合い、新人ながら人気デュオのJinusean(ジヌション)を抑えて音楽番組1位を獲得する。しかし2集の発売を数日後に控えた2001年11月15日、大麻吸引で逮捕され(2集は翌2002年1月に延期)、罰金刑を受けて地上波への出演を禁じられた。転機は2002年の日韓ワールドカップである。謹慎中に街頭応援に出ていたところをテレビの生中継に捉えられ、それが復帰の糸口になった。同年の3集の「チャンピオン」がヒットし、健全に騒ぐ歌手へとイメージを塗り替えた。

兵役を二度くぐった男

2003年から2005年11月まで、産業機能要員として代替服務に就いたが、その間に公演や他歌手への楽曲提供を重ねていたことが問題視され、不実勤務として服務を取り消された。行政訴訟でも敗れ、2007年12月に現役兵として改めて入隊し、2009年7月に除隊している。本人はのちに「軍隊に二度行ったのではなく、訓練所に二度行ったのだ」と繰り返し語った。この時期にもイ・スンギの「僕の女だから(내 여자라니까)」を手がけ、2006年には恋人だった現夫人に捧げた4集の「芸能人」を発表、同年10月に結婚した。

『江南スタイル』の衝撃

2010年にYGエンターテインメントへ移籍し、5集「Right Now」で健在ぶりを示す。そして2012年7月発表の『PSY 6甲 Part.1』のタイトル曲『江南スタイル』が、馬に乗るような「馬ダンス」とともに世界中で爆発的に拡散した。米ビルボードHot 100で2位まで上昇し、同年12月にはYouTube史上初めて再生回数10億回を突破。米国ではジャスティン・ビーバーのマネージャーとして知られるスクーター・ブラウンと手を組み、そのレーベルのスクールボーイ・レコーズ(流通はリパブリック・レコーズ)と契約を結び、韓国政府からは玉冠文化勲章を授与された。同年10月にはソウル市庁前広場で無料の感謝公演を開いている。翌2013年の「Gentleman」もHot 100で5位に入り、一発屋ではないことを証明した。

経営者として、ステージの人として

2017年の8集『4X2=8』を最後にYGを離れ、2019年に自ら芸能事務所P NATIONを設立した。歌手ファサやCrushらが所属する事務所の代表として、プロデューサー業にも力を入れる。2022年には9集『PSY 9th』を発表し、BTSのSUGAがプロデュースと客演を担った「That That」がHot 100入りを果たした。ライブでは観客に大量の水を浴びせる夏の名物公演「びしょ濡れショー(흠뻑쇼)」が看板で、始まったのは2011年8月のソウル公演から。2026年も6月の議政府公演を皮切りに、9都市14公演の全国ツアーを行った。

エピソード

誰にも気づかれなかった新人時代

デビュー直後の扱いは散々だった。本人の回想では、楽屋で放送局のスタッフに「PSYさんはどこですか」と当の本人が尋ねられ、局の前で車を降りると女子高生に「おじさん、これ誰の車?」と聞かれたという。存在を知ってもらおうと、楽屋の廊下で「鳥」の肩を揺らす振り付けをしながら歩き回ったこともある。初めて1位を取った日には、のちに所属事務所の社長となるヤン・ヒョンソクが、YG所属のJinuseanと1位を争った相手としてPSYと初めて顔を合わせている。本人の話では、1位を取って泣いている自分を見たヤンは、くるりと背を向けてマネージャーたちを呼びつけたという。

代金を払う家族

実家は成果主義が徹底していて、母が営むレストランで食事をしても本人は代金を払い、両親もPSYの公演には自分でチケットを買って来るという。兵役問題でCMの違約金を負ったときも、父は息子と借用証書を交わしたうえで金を貸し、PSYは除隊後に公演収益で返済した。大麻で留置場にいたときには、父が面会に来て「この機会にタバコもやめろ」とだけ言い残し、母も「こうなると思っていた」と一言で帰ったため、警察官が面食らったという。こうした家風を本人は嫌っていたが、音楽にのめり込む原動力にもなったと振り返っている。

盟友との決裂

デビュー間もない頃、なかなか売れない息子を案じたPSYの母が、初対面だった歌手キム・ジャンフンを訪ね、助けを頼んだという逸話がある。二人はのちに公演会社を共同で立ち上げ、2009年から2011年にかけて年末公演で大成功を収めた。だが『江南スタイル』が大ヒットした2012年秋、両者の不和が報じられ、PSY側が公演のノウハウやスタッフを引き抜いたとする記者の主張も広まった。PSYは公の場で多くを語らず、ほどなく和解の場が持たれたものの、その後二人が一緒に活動することはなかった。

睡眠薬をめぐる捜査

2025年8月、PSYが大学病院から処方された向精神薬の睡眠薬を、マネージャーに代理で受け取らせていたとして、医療法違反の疑いで捜査を受けていると報じられた。所属事務所は代理受領について「明白な過ちであり不注意だった」と謝罪する一方、対面診察を経ない「代理処方」だったとの見方は否定した。事件はその後検察に送られ、2026年8月に略式起訴、翌9月には裁判所が罰金500万ウォンの略式命令を出したと報じられた。それでも同年夏の「びしょ濡れショー」は予定どおり開催されている。

プロフィール

生年月日
1977年12月31日[1]
出生地
江南区[1]
国籍
韓国[1]
職業
俳優・女優 / 歌手[1]

作品

年は作品の公開日・放送開始日です。本人の参加時期を示すものではありません。

  1. 2017年I Luv ItAmazonで探す歌唱[2]
  2. 2017年PSY 8th 4X2=8Amazonで探す歌唱[3]
  3. 2022年That ThatAmazonで探す歌唱[4]

出典

リンク先の著作権は各発行元に帰属します。本文は転載せず、確認した事実をもとに書き起こしています。

  1. PSY — 人物の構造化データWikidata/構造化出典/確認日 2026-10-09
  2. I Luv It — 出演者・公開日の構造化データWikidata/構造化出典/確認日 2026-10-09
  3. PSY 8th 4X2=8 — 出演者・公開日の構造化データWikidata/構造化出典/確認日 2026-10-09
  4. That That — 出演者・公開日の構造化データWikidata/構造化出典/確認日 2026-10-09