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スミ・ジョー

조수미Sumi Jo
ミュージシャン歌手

1962年生まれのソプラノ歌手。ソウル大学声楽科を経てイタリアに留学し、1986年にオペラデビュー。カラヤンに見いだされ、世界の主要歌劇場でプリマドンナを務めた韓国を代表するリリック・コロラトゥーラ・ソプラノで、2026年にデビュー40周年を迎えた。

更新 2026-10-08/出典確認 2026-10-09

生い立ちとデビューまで

首席入学と除籍

本名はチョ・スギョン。ソウル大学声楽科に実技の高得点で首席入学した。しかし入学後は恋愛に夢中になって成績が振るわず、最終的に除籍になったと伝えられている。本人はほぼ完璧な絶対音感の持ち主で、そのせいで大学の視唱の授業では、ト長調の「ソ」を「ド」と読み替えて歌うことがどうしてもできず苦労したと語っている。1983年、わずかな所持金を手にローマへ渡り、サンタ・チェチーリア国立音楽院で学び、5年の課程を2年で終えたとされる。

活動の歩み

カラヤンとの出会いと世界の舞台

オペラ歌手としての初舞台は1986年、イタリア・トリエステのヴェルディ劇場で歌った『リゴレット』のジルダである。まもなく巨匠ヘルベルト・フォン・カラヤンの目に留まり、『仮面舞踏会』の小姓オスカルに起用された。カラヤンは彼女の声を神からの贈り物にたとえて称賛したことで知られる。その後の活躍は速く、世界5大歌劇場のすべてでプリマドンナを務めた初の東洋人という記録を20代で打ち立てた。1993年にはメトロポリタン歌劇場で『ランメルモールのルチア』の題名役を歌い、劇場側から絶賛を受けた。ゲオルク・ショルティ指揮『影のない女』の録音では、グラミー賞の最優秀オペラ録音を受けた一員にも名を連ねている。

レパートリーの拡張と40周年

高音の技巧で名を上げた一方、守備範囲の広さも際立つ。一般向けに大きな成功を収めたのは初のクロスオーバー盤『Only Love』で、クラシック系では異例の100万枚を売った。2006年には韓国の声楽家として初めてバロック音楽のアルバムを出し、2010年にはドイツ歌曲集を録音。2013年のチェチーリア・バルトリ主演盤『ノルマ』では、メゾのバルトリと役柄の声域を入れ替える形で参加した。舞台では、R.シュトラウスが難しすぎるとして書き直した『ナクソス島のアリアドネ』のツェルビネッタを原典のまま上演・録音している。2008年の北京五輪では開会式関連の公演に招かれた。後進のために自身の名を冠した国際声楽コンクールをフランスで開き、デビュー40周年の2026年には第2回大会を催したほか、韓国各地で記念公演『Continuum』を行っている。

エピソード

父の葬儀の日のパリ公演

2006年、デビュー20周年を記念したパリ・シャトレ劇場でのリサイタル当日、ソウルの父の訃報が届いた。すぐに帰国しようとしたが、母に「ファンとの約束だから歌いなさい」と止められ、葬儀が行われている時間に舞台に立った。アンコールではシューベルトの「アヴェ・マリア」を歌って父に捧げ、客席は長い拍手で応えたという。この公演は映像作品として残り、本人も忘れられない舞台に挙げている。のちに認知症を患った母のためにアルバムを制作したことも明かしている。

物おじしない性格

若い頃から物おじしない性格で知られる。部屋にカラヤンの写真を貼って朝晩あいさつするほど憧れていたが、初対面では「マエストロ、髪を触ってもいいですか」と頼んだという。指揮者ロリン・マゼールとの初練習でフランス語の難曲を歌った際、「ほぼ絶対音感だね」と言われると、即座に「ほぼではなく完璧な絶対音感です」と言い返し、マゼールを驚かせた。また、トーク番組では自分には口蓋垂(のどちんこ)がないと話し、実際に口の中を見せたこともある。

プロフィール

生年月日
1962年11月22日[1]
出生地
昌原市[1]
国籍
韓国[1]
職業
ミュージシャン / 歌手[1]

作品

年は作品の公開日・放送開始日です。本人の参加時期を示すものではありません。

  1. 2022年TAKE ONE ~マイ・ラスト・ソング~Amazonで探す테이크 원出演[2]

出典

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  1. スミ・ジョー — 人物の構造化データWikidata/構造化出典/確認日 2026-10-08
  2. TAKE ONE ~マイ・ラスト・ソング~ — 出演者・公開日の構造化データWikidata/構造化出典/確認日 2026-10-08